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雙語版《亞細亞大觀》第11回 北京及農(nóng)事 1925年2月出版 No. A011.01 北海の瓊華島(北京) 舊皇城の西安門と西華門の間一帶を西苑と呼び、其の西苑中三つの大なる池がある。其の最も北に位するのが北海で、其の北海の真中に築かれてあるのが即ち瓊華島である。島には承光門方面より碧橋が架せられてあり鬱蒼たる樹木で殆ど全島蔽はれて居り、亦奇巖怪石多く布置せられ、真に幽邃の趣がある。山頂高く聾ゆる白塔の下には、銅龕の中に顏面手足等各十數(shù)宛を具へて居る奇怪なる喇嘛佛を安置してめる。 北海瓊華島(北京) 舊皇城的西安門與西華門間一帶稱為西苑,西苑中有三個大池。位于最北端的便是北海,而建于北海正中央的即是瓊華島。島上在承光門方向架有碧照橋,而郁郁蔥蔥的樹木幾乎覆蓋全島,其中還布置了許多奇巖怪石,真有幽深之趣。高聳山頂?shù)陌姿?,安置在銅龕中的是一尊奇特的喇嘛佛,其面部、手足等各有十數(shù)個。 ![]() No. A011.02 萬壽山の廻廊(北京) 萬壽山の一週觀覽を為すには必ずこの長廊を巡らればならぬ、其の長さ數(shù)千尺、梁棟には彫刻を施し、花鳥山水を描き、五彩美は全く人目を眩する許りである、廊間に留佳亭、寄瀾亭等を配設してある。 西太后が巨萬の海軍充實費を流用したのはこの廻廊等に多く費した為で、然うでなければ戰(zhàn)艦二隻を建造し得て、日清戰(zhàn)爭にもあれ程脆くは敗けなかつた筈と云ふものもある程である。 萬壽山迴廊(北京) 若要周覽萬壽山一周,必經(jīng)此長廊。其長數(shù)千尺,梁棟之上施以雕刻,繪有花鳥山水,五彩斑斕,簡直令人目眩。廊中設有留佳亭、寄瀾亭等。據(jù)說,西太后挪用的巨額海軍擴充經(jīng)費,多耗費于此迴廊等處。有人言若非如此,本可建造兩艘戰(zhàn)艦,而甲午之戰(zhàn)也不至于敗得如此凄慘。 ![]() No. A011.03 北弓橋 これは北京萬壽山の處々に架せられてある弓橋の一である、斯る橋でも總べて大理石造りであつて豪者の跡を物語つて居る。 圖中の小舟は池中の鯉や鮒を突き捕へて居るところで、目の下一尺位のものはザヲに居ると云ふ。 北弓橋 此乃北京萬壽山各處所架設的弓橋之一。即便是此類橋,也全為大理石所造,是訴說著昔日豪奢之跡。 圖中的小舟正在池中叉捕鯉魚和鯽魚。據(jù)說眼下就能捕到一尺來長的。 ![]() No. A011.04 正陽北門の箭樓 この箭門は、清末の英傑袁世凱の築造したもので、爾來戰(zhàn)爭のある每に使用されて居るさうである、この箭樓を狹んで東側に京奉線の起點たる、東火車站(東停車場)があり、西側に京漢線の西火車站がある。 この附近ば北京でも最も交通の頻繁な雜踏する場所である。 正陽門北的箭樓 此箭門為清末英杰袁世凱所筑,據(jù)說此后每逢戰(zhàn)事皆會使用。緊鄰此箭樓東側,有京奉鐵路的起點東火車站,而西側則有京漢鐵路的西火車站。 此地附近是北京交通最為繁忙的人聲嘈雜之地。 ![]() No. A011.05 天壇(北京) 北京には壇と稱するものが多い、天壇、地壇、月壇、社稷壇、先農(nóng)壇、先蠶壇等は其の著名なものであるが中にも規(guī)模の最も大きなものはこの天壇である。天壇は正陽門の南方永定門內(nèi)に在り、今より五百五年前明の天子の建造せられたもので、黃天上帝を祀られた處である、壇は天に象つて圓くしてあり、上中下の三層に築いてある、毎年冬至の日出前に天子が、此の壇上に登つて天を三跪九拜したものであると云ふ。 天壇(北京) 北京稱為壇的建筑甚多。天壇、地壇、月壇、社稷壇、先農(nóng)壇、先蠶壇等為著名者,其中規(guī)模最為宏大的當屬此天壇。天壇位于正陽門南方、永定門內(nèi),乃距今五百零五年前之明代天子所建,是祭祀皇天上帝之處。壇仿天象而建為圓形,上中下共有三層。據(jù)說每年冬至的日出前,天子會登此壇臺,對天行三跪九拜之禮。 ![]() No. A011.06 龍王島(北京) 北京風光の第一勝地たる、萬壽山の影とさかしまに映して見せるものは昆明湖、其の昆明湖の鏡の上に浮んで居る一群の樹林が龍王島のそれである、舟を賃して湖を橫ぎるもの終りに此所に上りて島內(nèi)の廟に詣で、それより大理石造りの十七穹を開いた玉帶橋を渡つて歸るのが順路となつて居る。 龍王島(北京) 作為北京風光第一勝地的萬壽山,其影倒映于昆明湖中,而浮于昆明湖鏡面之上的一片樹林,便是龍王島所在。租船橫渡湖泊,即可登臨此處參拜島內(nèi)廟宇,然后渡過擁有十七個大理石拱券的玉帶橋返回,此乃常規(guī)路線。 ![]() No. A011.07 景山(北京) 景山は舊皇城の神武門の北に在る、五つの峰が於列んでゐて、其の中央(この寫眞に向て右から三番目)の峰が一番高い。 この山は、元の世祖が都を北京に奠めて城を築いた頃庭苑として態(tài)々築いたものであると云ふ、歷代の春苑で一般の登攀を許さないが風致甚だ秀雅であるとせられて居る。 景山(北京) 景山位于舊皇城神武門之北。其五座山峰并列,其中央(此照片中右起第三座)山峰最高。 據(jù)說此山乃元世祖定都北京筑城時,特意作為庭苑而堆筑。作為歷代春苑,雖不允一般人攀登,但被認為其景致甚為秀雅。 ![]() No. A011.08 農(nóng)家の春 咲き亂れた杏花の下、夫を野良に送り出した妻は暖い春光を浴びつつ、あとけない兒等の會話に微笑で居る。幸福其ものの樣な農(nóng)家の春、それは我關東廳治下を離れては彼等には希まれない生活である。それ程に、關東州內(nèi)に住む支那人は平和に幸福な生活をして居るのである。寫眞に見るが如き家の構へは、滿洲では中部以南に限られて居る樣である。 農(nóng)家之春 在爛漫盛開的杏花下,將丈夫送出家門去田里的妻子,沐浴著溫暖的春光,對著天真無邪的孩子們的對話報以微笑。這宛如幸福本身的農(nóng)家之春,乃是他們?nèi)綦x開關東廳治下便難以企及的生活。正因如此,居住在關東州內(nèi)的中國人過著和平幸福的生活。照片中所示的房屋結構,在滿洲似乎僅限于中部以南的地區(qū)。 ![]() No. A011.09 摘草 廣々とした若草の原、軟かい陽の光、草摘む少女の鄙びた姿、姿こそ變れ春を樂む狀は日本の田舍と變りはない,滿洲と云へば寒い殺風景な處位に考へて居る內(nèi)陸の未知の人々に、是非見せ度いのは滿洲の春である。 摘草 廣闊無垠的嫩草原野,柔和的陽光,摘草少女樸素的姿態(tài)。雖然姿態(tài)各異,但享受春光的景象與日本鄉(xiāng)下并無不同。對于內(nèi)陸那些不明就里、以為滿洲僅是寒冷荒涼之處的人們,希望他們務必一觀的,正是如此的滿洲之春。 ![]() No. A011.10 種蒔 冬の眠りから蘇つた大地の微笑む頃となつた。これから農(nóng)夫等や驢馬があちこちから田圃ヘとやつて來る姿が日に增し多くなる。 蒔かれた種は間もなく芽を吹いて、強い日光に照りつけられ、グングン繁茂して廣い地面を大袈裟に蔽ふて了うところは、ほんとによく大陸的の趣を見せる。 播種 此時已是大地從冬眠中蘇醒、展露微笑的時節(jié)。從此開始,農(nóng)夫們和驢馬從各處前往田間的身影將日漸增多。 播下的種子不久便會發(fā)芽,在強烈日光照射下會迅速繁茂,成片地覆蓋著廣闊的土地。此情此景,著實會充分展現(xiàn)大陸特有之風情。 ![]() |
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