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1925年2月出版 No. 009.01 老婆と孫(南満) 之は大石橋附近に住んで居る旗人の老婆と其愛孫とである、旗人とは日本で士族と云ふが如き者である、其昔滿洲には八旗と云て約二十萬人の兵士が親藩兵として駐在して居た清朝の北京遷都以來累代の朝廷は之等旗人を保護(hù)したが彼等は農(nóng)を好まず恩寵に狎れ其生活放惰安逸に流れ賜給の土地は禁を破て漢人に轉(zhuǎn)賣し遂に生活窮迫して自滅するに至つた然して今は其名のみ殘て居るに過ぎない。 老婦與孫子(南滿) 這是居住在大石橋附近的旗人老婦與其愛孫。所謂旗人,類似于日本的士族。往昔滿洲設(shè)有八旗,約有二十萬士兵作為親藩兵駐防。自清朝遷都北京以來,歷代朝廷雖保護(hù)這些旗人,但他們不喜農(nóng)耕,沉溺于恩寵,生活流于放縱惰逸,竟違反禁令將賜予的土地轉(zhuǎn)賣給漢人,最終生活窮困,走向自滅。時(shí)至今日,旗人僅存其名而已。 ![]() No. 009.02 (無標(biāo)簽內(nèi)容) (原文說明標(biāo)簽遺失) ![]() No. 009.03 烏拉草(北満) 滿洲の冬の寒さと一口に言つても南の旅順や大連邊りのそれと奉天附近のそれ、更に長春、哈爾賓方面のそれとは大に、各十五度位の差がある、奉天地方から北にかけては冬になると、支那の勞働者階級の者は靴の中に此の烏拉草を入れて足先の寒さを防ぐのである、寫真は奉天城外の路傍で老人が其の烏拉草を打つて柔くしながら賣つて居るところ、烏拉とは蒙州語で靴を味意して居る相な。 烏拉草(北滿) 雖說滿洲冬季寒冷,但南部的旅順、大連一帶,以及奉天附近乃至長春,與哈爾濱方面的寒冷程度大不相同,各自有著約十五度的差異。從奉天地區(qū)往北,一到冬天,中國勞動(dòng)階層的人們就會(huì)將這種烏拉草放入靴中,以防腳趾受寒。照片攝于奉天城外的路旁,一位老人正在捶打?yàn)趵荩允蛊淙彳洸⑦M(jìn)行售賣。“烏拉”據(jù)說是蒙古語,意為靴子。 ![]() No. 009.04 山楂賣 山楂は山梨の實(shí)を芯にして其れを水飴にまみらかしたもので一種の御菓子である、一見したところ真珠の紅玉を串刺した樣で非常に美しいが,其の紅色は飴に色を著けたのではなくて山梨の皮が紅いからである、小串は一本二錢大串は四錢位で賣つて居る、小娘が今一串買ひに來たのはいいが少々寒いので震へて居る。 賣山楂(糖葫蘆) 山楂是以山楂果為芯,裹上糖稀而制成的一種小點(diǎn)心。乍一看,如同紅玉般的珍珠串在竹簽上一般,非常美麗。那紅色并非糖稀著色,而是因山楂果皮本身即為紅色。小串賣兩錢,大串約賣四錢。小姑娘剛好高興地買了一串,天氣有點(diǎn)冷,凍得有些發(fā)抖。 ![]() No. 009.05 羊飼ひ 支那人がよく家畜を飼養(yǎng)する事は古來よりの傳統(tǒng)的習(xí)俗である、齊しく家畜と言ふも之を主として食料に用ゐむが為のものと、営利の為に飼ふものと自ら適當(dāng)の種別がある、豚、牛の如きは前者に適し羊馬の如きは後者に相應(yīng)する、尤も畢竟するに何れも経済的欲望を満たす為のものに外ならないが、唯支那人は天性家畜や家禽を飼ふ事を好んで居り、又之を扱ふ事に妙を得て居ると云ふ所から、趣味的欲求も手傳つて居るものと見る事が出來やう、寫眞は安奉線橋頭附近の村落に於て雪の途上に收めたものである。 牧羊(安奉線橋頭) 中國人善養(yǎng)家畜,乃是自古以來的傳統(tǒng)習(xí)俗。雖同稱家畜也有適當(dāng)分類:有主要供作食料者,有為營利而飼養(yǎng)者。如豬、牛適于前者,羊、馬則相應(yīng)為后者。當(dāng)然,歸根結(jié)底無外乎都是為了滿足經(jīng)濟(jì)欲望。但唯因中國人天性喜好飼養(yǎng)家畜家禽,且擅長照料它們,故亦可視為其中亦有趣味性需求在起作用。照片攝于安奉線橋頭附近的村落,是在雪途中拍攝的。 ![]() No. 009.06 剃刀的 日本でも昔はあつた田舍廻りの床屋さんである、道具箱と腰掛を天秤棒で擔(dān)ひ片手に一尺二三寸もあろうと云ふ音叉を持ち指先でビーンピーン鳴らし乍ら流して步く、客があれば何處でも荷を卸して仕事にかかる、夏の正午下り只さヘ眠い處ヘ、此の消ね入るやうな音叉の音を聞かされると益々睡魔に引入れられ堪へられなくなる相な。 剃頭挑子 在日本過去也曾有過走街串巷的理發(fā)師。這位用扁擔(dān)挑著工具箱和凳子,一手拿著約有一尺二三寸長的音叉,邊走邊將其彈得“叮?!弊黜?,便于流動(dòng)中招攬生意。若有客人,便可隨處卸擔(dān)工作。在夏日晌午之本就困倦時(shí),若聽到這仿佛要消失般的音叉聲,會(huì)越發(fā)難以抵御睡魔之侵襲。 ![]() No. 009.07 玩藝 御祭なんぞの盛り場で見受ける旅藝人の一つである、口上宜敷あってドラ鐘の囃しにつれ、種々の藝當(dāng)を演じ、投げ錢を貰ふのである。斯うした藝人は、日本では入場料を取るが、支那では投げ錢で公開する習(xí)慣が多い、又演者が女である處に興味が湧く。 雜耍 這是在廟會(huì)等熱鬧場所常能見到的流浪藝人的一種。他們口才頗佳,伴著鑼鼓家伙,表演各種雜耍,以此獲得賞錢。此類藝人在日本是收取入場費(fèi)的,但在中國,習(xí)慣上多是依靠觀眾投賞錢來進(jìn)行公開表演。另外,表演者是女性這一點(diǎn)也頗有趣味。 ![]() No. 009.08 籠子 これは萩や柳の小枝等で編んだ籠に、紙を幾重にも張りそれに豚の生血を塗つて造るもので、酒、燒酎,油等の容れ物に多く用ゐられるものである。 油房(大豆を搾で油と粕とを造る所)又は酒屋で使用する何斗と容る樣な大きいのもやはりこの紙張りで造られてあるが,此の寫真に見る位のものは大概支那人の家庭に於て燒酌や燈油等の容れ物として居る、輕くてなかなか壞れないのが此の籠子の特長である。 簍子 這是用荻或柳條等編織成簍,糊上數(shù)層紙張,再涂以豬血制作而成的器物,多用作盛裝酒、燒酒、油等液狀物品。 油坊(榨取大豆制油和豆餅之地)或酒坊所使用能容下數(shù)斗的大容器,也是同樣用這種紙糊法制成。而照片中這般大小的,通常是在中國家庭中用作盛裝燒酒或燈油等的容器。這種簍子有輕便且不易損壞的特點(diǎn)。 ![]() No. 009.09 蝎 昔から蛇蝎の如く、と云て嫌はれて居るのは此蟲の事である、動(dòng)物學(xué)上蜘蛛類に屬し、大きいのは六寸位もあつて、主に石垣の間や塵芥の中に棲息し、夜間出て小蟲を捕ヘ尾端の毒鈎を以て螫殺して食ふ、人若し此蟲に螫さるゝ時(shí)は、局部腫れ上り一晝夜位は堪ヘ切れぬ痛を感ずるが、生命に關(guān)する程の事はない、漢名では蠍と云ひ日本では普通サソリと云て居る。 蝎子 自古所言的“如蛇蝎般”令人厭惡的,便是此蟲。其在動(dòng)物學(xué)上屬蜘蛛類,大的約有六寸長,主要棲息在石墻縫隙或垃圾堆中,夜間出來捕捉小蟲后,以其尾端之毒鉤螫殺吞食。人若被此蟲螫傷,局部會(huì)腫脹起來,在約一晝夜時(shí)間里,會(huì)感到難以忍受的疼痛,但無傷性命。中文名為“蝎”,而日本通常稱為“サソリ”。 ![]() No. 009.10 支那農(nóng)家の井戶 丘の下立木の傍等に無雜作に掘井戶を拵ヘてあるところは、日本の農(nóng)村等と變りはないが、唯水汲みの方法を異にして居る、卽ちハンドル付の木車によつてつるべの綱を捲き揚(yáng)げるのである。 中國農(nóng)家的水井 在山丘下、樹木旁等地方,簡易地挖鑿建造水井之處,這與日本農(nóng)村等地并無不同。唯有取水方法相異,這里是用帶搖柄的木制絞車來卷起吊桶的繩索。 ![]() |
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