| 日本語科051組 ヤン 9ページ 12,104字 攜帯電話の利用が若者のコミュニケーションに與える影響に関する分析 一、概要 通信技術(shù)の発展につれて、今の社會はもう情報化社會に入った。攜帯電話が登場してから、その普及スピードが著しく、わずかの期間に老若男女誰でもが使うようになった。攜帯電話は人々の社會生活の中に欠かせない必要品になった。しかし、攜帯電話の普及と使用はいろいろな社會問題を起こした。特別に若者のコミュニケーションに與える影響はもう一種の無視できない社會も問題として世界範(fàn)囲に存在していて、ますます世界各國に注目されている。特に経済高度発達(dá)の日本はこの問題についての討論が激しい続いている。この數(shù)年、中國では経済、技術(shù)の高度発展と攜帯電話利用の広がりに伴って、この問題も人々に重視され始めている。日本では攜帯電話の利用は若者のコミュニケーションに與える影響についての分析を通じて、中國のこの問題の研究に非常に役に立つと思う。それに、自分にとって身近なことを研究するのはよいことである。攜帯電話と攜帯メールのやり取りをするのは楽しいことなので、研究にも興味を持ちやすいし、身近な人々の行動を客観的に見直すことにも通じるだろうと思うから。これを研究テーマにした。 この論文は主に日本で若者の攜帯電話の所持、使用狀況;攜帯電話の利用による従來のコミュニケーションの形の変化;また、攜帯電話の利用による若者の人間関係のプラス面とマイナス面などいくつかの角度からしだいにこの問題を深く研究した。それにまた、この問題を二中比較分析した。いろいろと研究したあげく、私は以下の結(jié)論を出した:攜帯電話と攜帯メールの利用はより緊密な仲間関係を形成するように見えるが。実は攜帯電話と攜帯メールの利用によって緊密さは増加せず、ただ表面のコミュニケーションとして淺い関係を形成しているだけである。若者はコミュニケーションにおいて攜帯電話に依存しすぎた。いつも、攜帯電話で特定のグループの中で長期に付き合っているから、內(nèi)輪だけの付き合いを重視している傾向が見られた。外部との交渉が非常に限られている。家族や友人と実際に觸れ合うことも少なくなった。人間関係が希薄化になった傾向も見られた。 キーワード:攜帯電話 攜帯メール コミュニケーション 仲間関係 二、前書き 私たちはすでに攜帯電話と切り離された生活が考えられない時代に突入した?,F(xiàn)代人の生活の中に攜帯電話は身に著ている服のように欠かせない必要品として定著している。電話といえば、二人が音聲で意思の疎通をする道具というのが今までの一般的な認(rèn)識だった。今までの家庭の固定電話はその名前のとおり、家の中に固定されていたのだが。でも、攜帯電話の登場が私たちの周りを大きく変えている。攜帯電話の普及は私たちの日常生活に変化をもたらしている。攜帯電話を持っていることでいつでも呼び出しが可能になる。固定電話の時代にまして行動範(fàn)囲を広げることになる。私たちは攜帯電話が生活にもたらした便利さを楽しんでいる同時に、攜帯電話はわれわれの日常生活の諸方面に直接、間接的に影響を及ぼしている。とりわけ、攜帯電話を媒介とするコミュニケーション様式は少しずつ成り立つようになった。伝統(tǒng)的なコミュニケーションより攜帯電話に依頼するコミュニケーションは便利な代わりに多くの問題がつきものである。本論文では攜帯電話の利用によって生じる若者のコミュニケーションの変化、若者における友人関係と攜帯電話利用の関連に焦點(diǎn)を當(dāng)てて、二中両國の関係研究資料を基に日中比較分析した。それにまた、若者のコミュニケーションと攜帯電話との関係性を明らかにしてみた。 三、本論 1.日本で若者の攜帯電話の所持、利用狀況 日本で攜帯電話が登場してから、その普及は目覚しいものである。今や、路上や電車の中で攜帯電話で話したりメールをやりとり刷る姿は日常の光景となった。利用者は生活や仕事との必要品とてし便利さや楽しさを享受している。日本における攜帯電話の普及率は全人口の約70%を超えて三人に二人が持つようになった。利用者の中に高校生や大學(xué)生を代表する若者の利用率は目立っている。調(diào)査(注[1])によると、日本では15歳以上25歳未満の若者はほぼ全體攜帯電話を持っている。 攜帯電話を使用するきっかけは「みんなが持っているから」という人が多い。これは日本人自分自身の特徴につながっていると考えられる。昔から日本では一般的に周囲の人と同じことをするのがよいとする習(xí)慣がある。日本人は周囲の人と自分が違っていたらとても不安になる傾向が強(qiáng)いのである。また、現(xiàn)代の若者が新しい物好きで旺盛んな好奇心を持っていることにもつながっている。學(xué)生の場合は連絡(luò)の相手も學(xué)校の友人が主となり、攜帯電話の機(jī)能で文字の送受信ができるメール機(jī)能の利用が活発で、そこでは主に放課後の予定や遊びの連絡(luò)、たわいのない話題などがやりとりされていることがわかった。 今や、攜帯電話は単なる連絡(luò)手段の枠を超え、その機(jī)能には通話のほか、メール、音楽、モバイルバンキング、カメラ、電子決済、ゲームなどが含まれている。普通に通話とメール二つの機(jī)能がよく使われている。若者にとって最も利用頻度が高いのは (注[2]) この図で日本において攜帯電話の利用者全體の狀況を見ると、攜帯電話、Eメールとも、男性の方が利用率は高いが、10代では女性の方が高い。20代以下では男女を問わず大多數(shù)が攜帯電話を所有しているが、年代が上がるにつれて利用率は急激に下がる。特に女性で下がり幅が大きいことがうかがえる。これは日本文化庁が2005年「攜帯電話の利用度調(diào)査」というテーマで行ったアンケートでとったデータである。 若者において攜帯電話の具體的な利用目的と用件について調(diào)査してみた。それらを整理して以下のとおりにまとめた。 攜帯電話の具體的な利用目的、用件(注[3]) 
 また、攜帯電話でのメールのやり取り內(nèi)容は最多の「出來事や気持ちの伝達(dá)」のほか、「用件のないメッセージ」など、緊急性の薄い要件が上位に上がっている。ちょっとした気持ちや用件を伝えたいとき、電話では相手に迷惑をかけるかもしれないが、メールでならその心配はない。こうした特性があるため、若者において攜帯電話の通話機(jī)能よりメール利用のほうが活発である。 攜帯電話でのメールのやり取り內(nèi)容 
 それ以外に、日本の文化庁のインタネット上の調(diào)査結(jié)果によると、攜帯電話の生活習(xí)慣の関わりでは「トイレの中で攜帯電話を使うことがある」「攜帯電話があるので腕時計(jì)は身につけていない」「メールや電話が來ない日はさびしくなる」などの回答が多かった。特に世代が若いほど攜帯電話とのつながりが深いようだ。 2.新しいコミュニケーションの方法である攜帯電話 2.1交流について 交流には大きく分けて二つのパターンがあると考えられる。一つは人間の生身の交流で、もうひとつはバーチャルな交流である。(注[4]) 人間生身の交流とは、従來ともいうべき交流の形であり、人と人が直接にコミュニケーちょんをとる交流の形である。今まで、攜帯電話がまだ登場していない時代に従來のコミュニケーション手段として直接會話、手紙?はがき、固定電話等がある。これらの手段で人間関係を築いたり、維持したりした。一方のバーチャルな交流とは、人と人が直接にコミュニケーションをとるのではなく、情報メディアを通じたコミュニケーションの形である。攜帯電話はここに當(dāng)てはまるといえる?,F(xiàn)在では、人間生身の交流が高年齢層に多い一方で、バーチャルな交流の形は低年齢層に多く見られる。 2.2新しいコミュニケーションの方法である攜帯電話 先に上げた交流の形のひとつであるバーチャルな交流の一例に攜帯電話とメールがあげられる。攜帯電話はいつでもどこでも気軽に他人とコミュニケーションをとることができるから、登場してから人々に愛用された?,F(xiàn)在では、面と向かって話すコミュニケーションより攜帯電話でコミュニケーションをとることが新しい流行として利用する人がますます多くなった。また、メールは現(xiàn)代の攜帯電話の機(jī)能に無くてはならない機(jī)能である?,F(xiàn)代の若者の攜帯電話利用の事情は攜帯電話の電話機(jī)能よりもメール機(jī)能を使うほうが圧倒的に多い。料金も一回の電話に比べ、一回のメールのほうが安くなっていて、お金のことを考えずに気楽に利用できることが主な人気の理由である。そのほかの理由に、「夜中など時間が気になるとき利用できる」や「図書館など場所が気になるとき利用できる」などが挙げられている。また、一度に多くの人に発信することが可能で、さらには自分のもとに屆いたメッセージをそのままほかの人に転送することができる。メールはこの様な理由から「最も敷居の低いコミュニケーション」と呼ばれている。 新しいコミュニケーションの方法である攜帯電話の登場がバーチャルな交流を増加させてきたとも言えるであろう。そして、攜帯電話の利用によるバーチャルな交流が普及したことで、今までになかった新しいコミュニケーションのとり方が生まれたと考えられる。 3.?dāng)y帯電話の利用による若者のコミュニケーションへのプラス面とマイナス面 中學(xué)生のとき、教科書に「世界上任何事物都有兩面性,即有利的一面和不利的一面,這兩面永遠(yuǎn)都是相伴相隨的?!工趣い?nèi)容を?qū)Wんだことがある。日本語に訳したら、「この世の中にどんな物事でも、プラス面とマイナス面がある。そして、この二つの面がいつでも絡(luò)み付いている。」という意味である。攜帯電話の利用による若者のコミュニケーションへの影響も同じである。身近なことを研究して攜帯電話の利用による若者のコミュニケーションへの影響を以下の通りにまとめた。 3.1攜帯電話の利用による若者のコミュニケーションへのプラス面 ①便利さ みんなが攜帯電話を使う一般的理由としては、やはり攜帯電話は便利だからといえるだろうが。攜帯電話を持っていることで、いつでもどこでも情報を得ることができたり、誰とでも気軽にコミュニケーションをとり、持続できるから。安心感を持てるようになる。固定電話の時代に比べて場所と時間といった制限を受けないので、行動がまして自由になった。外出するときなど、一緒にいなくても攜帯電話の電波が屆く場所にいる限り、つながっているという意識を持つことができるのである。それは乗り物の発達(dá)と似通ると思う。また、固定電話であるなら、有人と連絡(luò)を取りたいときに自分の家にある電話で相手の家に電話をかけるしかないのだった。これは多少とも相手の家族に迷惑をかけるかもしれない。自分専用の攜帯電話が登場してから、この問題は自然に解決されてしまった。相手の家族に迷惑をかけずに連絡(luò)をとることができるようになった。 それ以外に、攜帯電話が登場する前の電話といえば、一家に一臺を皆で使う「公共型の電話」であった。そのため、自分以外の人にかかってきた電話であっても出なければならなかったり、公に電話番號が公開されているため、疎遠(yuǎn)な相手やいたずら電話などにも一応に出て、対応しなければならなかった。それが今では、攜帯電話が登場し、一人に一臺の「個人型の電話」として普及した。電話番號はプライバシーとして、個人や個人と親しいものの間で飲み公開され、自分に用のない電話はもちろん、疎遠(yuǎn)な相手、いたずら目的の電話がかかってくることがほとんどなくなった。萬が一、かかってきても、事前に相手を知ることができ、それなりの対処ができる。それに、次にその相手からかかってこないようにすることもできるし、直接會話をしないでメールという方法もある。これは固定電話であるならできないことである。これも攜帯電話がわずかの間に普通の人々に広く普及した理由のひとつであろう。 ②友人や家族とのコミュニケーションの量が増加している プラス面の①にかかわることであるが。今まで攜帯電話がない頃、普段他人と連絡(luò)ととりたいとき、相手がいまどこにいるかとか、何をやっているのかとかわからなかったから、コミュニケーションをとることは本當(dāng)に面倒くさいことだった。それに相手が家にいるかどうかは判斷できないから、わがまま勝手に相手の家に電話をかけるなら、場合によっては失禮なことになるかもしれない。だから、攜帯電話が登場する前に人とのコミュニケーションはただ顔をあわせて話す方法しかなかった。また、空間的、時間的制限をも受けていたゆえに人とのコミュニケーションの量が自然に少ないのだった。だが、攜帯電話の登場により、いつでもどこでも相手と連絡(luò)を取りたいだけコミュニケーションをとることが可能になった。コミュニケーションにおいては空間的、時間的制限も軽減され、いまどこにいるのかとか、何をやっているのかとか相手の事情をよくわかることもなく面を接することもなく気軽にコミュニケーションを取れるから。攜帯電話がない時代に比べて、友人とでも家族とでものコミュニケーションの量が増加している。だから、攜帯電話の利用により、コミュニケーションを増加させえるということもいえる。 ③人間関係をより多様化させる役割を果たす 私たちは家族や地域のほかに、趣味や嗜好によりグループされた複數(shù)の友人関係、人間関係をもっている。攜帯電話が登場する前に人間はひとつのグループの中で付き合うだけである。つまり、一対一の形で付き合っている。でも、攜帯電話が速いスピードで普及した後、こういうコミュニケーションの狀況が徹底的に変わった。攜帯電話を持つことで、若者におけるコミュニケーションは比較的簡単に取り、持続できるだけではなく、若者はいくつかのグループの中で付き合えるようになった。攜帯電話の機(jī)能で文字の送受信ができるメール機(jī)能は最たる例である。攜帯電話でほかの友人に電話をかけても、一人にしかかけることができないが。メール機(jī)能には同時に何人かにメールのやりとりをすることができるこれまでにない優(yōu)れた特徴を持っているから。こういう多様化なコミュニケーションを円滑に、より充実をさせる役割を果たしている。 3.2攜帯電話の利用による若者のコミュニケーションへのマイナス面 攜帯電話の出現(xiàn)と普及によって、コミュニケーションが以前より豊かになり、どこにいても、連絡(luò)が取れるので便利、人間関係をより多様化させ、攜帯電話にはたくさんのメリットがある。それに、これらのメリットがコミュニケーションをも含めて私たちの生活の多方面によい影響を與えてくれた。これは人々に十分に認(rèn)められるべきである。しかし、その反面、デメリットが生じていることも私達(dá)はしっかり理解しなければならない。そこで攜帯電話の利用による若者のコミュニケーションへのマイナス面を次のように上げたいと思う。 ①真意が伝わりにくい 通常私達(dá)は、お互い面と向かってコミュニケーションを進(jìn)行させる。そこでは、言いたいことを伝えるのに、言葉ばかりでなく、表情やしぐさ、聲の出し方や話すテンポといった非言語的は要素を必要とする。言葉では、伝えきれない部分を私達(dá)は非言語的コミュニケーションで補(bǔ)っている。例えば、厳しいことを言わなければならない時、私達(dá)は言いにくそうに、申し訳なさそうな表情でできるだけ柔らかい語調(diào)で伝えようとする。表情や口調(diào)から「気分を害するだろう」と感じたら、言葉を換えて説明し直したり、話題を変えたりすることができる。このようなことは、言葉以外の手ががりがあるからこそ、できるのだ。面と接しないコミュニケーションである攜帯電話で言葉そのものだけで私達(dá)の言いたいことを十分相手に伝えるなどは、直接會ったりすることよりも非常に難しいだろうかと考えられる。受け手の人間は発話者の気分や感情を「文字だけ」あるいは「聲だけ」といった乏しい情報から勝手に推測しなければならないのだ。 メールはその典型的な例である。いろいろと身近なことを研究して、普通にメールを使用する中で言語的特徴があることがうかがえる。ここでは、言語學(xué)でメールにはどのような言語的特徴があるのかを明らかにしていきたい。いろいろな研究資料を基に、それらを整理すると、次のようになる。 若者がメールを使用する中での言語的特徴(注[5]) 
 もとより、面を接しないコミュニケーションであるメールで相手の気持ちを得たり、伝えたりすることは難しいが、メールを使用する中で以上のような言語的特徴があるゆえに、現(xiàn)実には、相手の気持ちなどをこれ以上把握することはできなくなる。この分では、人間関係において何らかの誤解やトラブラを生じさせる可能性もある。 ②攜帯電話の過度利用による人間関係が希薄化している傾向 攜帯電話によるコミュニケーションの変化の例が待ち合わせである。今日私たちが待ち合わせをする場合、待ち合わせ場所を詳しく決めなくてもいいが、「わからなくなったら攜帯電話する」「攜帯電話持っているからわからなくなったら攜帯電話で連絡(luò)を取り合おう」という感じになる。また、待ち合わせ場所についたら、すぐ「著いた」などのメールを打ったり、「遅れそう」といったメールを打ったことによって、待つ側(cè)は相手を待つということが気楽になる。待ち合わせに攜帯電話を使うことは便利だと誰もが思っていることではあるが、待ち合わせに遅れた場合などの厄介なコミュニケーションを避けることを可能にしているのである。多くの人が遅れても連絡(luò)さえすればという相手を思う気持ちの希薄化や時間を守るという約束の基本ともいうべき行為を守ることのできない人間を増やしているのではないだろうか?時間に遅れるということへの罪悪感が多少軽くなるのではないか。以上のことを考えてみると、攜帯電話は待ち合わせに便利ではあっても、人の感情の面や、コミュニケーション能力への影響としてはむしろ悪影響を與えているものかもしれない。 また、かつて攜帯電話やメールがない頃は友人と喧嘩や何か問題が生じた場合、必ず相手とアポイントをとって直接話しをしたり少なくとも電話で解決した。少しばかりの緊張や罪悪感を抱いて相手に対する思いを自分の口でははっきりというしかなかった。自宅の電話にかける際も、自ずと禮儀が身についた。しかし、メールの登場により、問題が生じた際にでもメールで解決してしまう傾向にある。たとえば、喧嘩をしたり相手にいやな思いをさせてしまった時、以前であれば直接または固定電話で誤ることをした。それに対し現(xiàn)在では、「ごめん」「言い過ぎた」などとメールを使うことにより、自分が傷つかないし相手も傷つかない方法をとる。傷つくことを恐れ、口で言わなくてはならないことをメールで伝えてしまう。これが現(xiàn)代の若者の特徴といえる。この現(xiàn)象を一見しては、相手の気持ちをよく考えて傷つけないようにやることだから、やさしいような気がする。でも、深く考えてみると、やさしいことはやさしいだが、従來のコミュニケーションとして面と向き合う直接なコミュニケーションより人間関係が希薄化しているじゃないか。 ③選択的なコミュニケーション 若者の世代にとって攜帯電話はほとんど必要品である。誰もが持っている攜帯電話は、誰とでも気軽にコミュニケーションをとることができる手段であるが、相手を選択できるという一面も持っており、選択的コミュニケーションを築く道具となっている。例えば、付き合いの深い人とは徹底的にコミュニケーションをとるが、攜帯電話に登場されていない人とはまったく話さない。また、話したくない相手や好意を持っていない相手に攜帯電話の番號を変えても教えなかったり、相手から電話がかかっても出なかったり、履歴がのこり、それを放置してかけなおさないこともある。メールの場合、相手からメールを送受してきても、メールを無視したり、メールを読む前に削除したり、メールを読んでも返信しないこともある。場合によっては、電波事情を理由に電話を一方的に切ることも可能である。 このように、攜帯電話が選択的な人間関係をより可能にし、若者の人付き合い下手を助長した。それ以外にも、コミュニケーションが狹がっていると実際に意識はしていなくても、知らず知らずのうちに內(nèi)輪だけのコミュニケーションを築いているということもいえる。 ④依存しすぎた これは最も心配されている問題と言える。 攜帯電話のサービスが開始されてすでに十何年経ち、日常生活は大変便利なものになった。しかし攜帯電話のない頃では日常生活はどうだったでしょうか。當(dāng)時の人々の生活に攜帯電話がなくても何の不自由もなかったでしょう。ところが攜帯電話がここまで普及した現(xiàn)代では攜帯電話がないと「仕事ができない」「落ち著かない」、さらには「攜帯電話なしでの生活は考えられない、生きていけない」といった意見もよく耳にする。 今や、攜帯電話は生活に欠かせない必要品としての存在がすでに人々に認(rèn)められていた。路上で攜帯電話で話したり、メールをやり取りする姿はもはや日常の光景となった。便利だが、攜帯電話を頻繁に使用している人にとっては手放せないものになっている傾向が見られる。私が在學(xué)している河南科技大學(xué)ではクラスメートと話していても攜帯電話にメールの著信があると、何をさしおいてもまず確認(rèn)して返信という動作が反射的に身についているような學(xué)生も目にしたことがある。このように現(xiàn)実のコミュニケーションより攜帯電話を媒介とするコミュニケーションは生活の中の優(yōu)先事項(xiàng)においている傾向が見られる。端的にいえば、バーチャルなコミュニケーションが優(yōu)先されている。また、友たちの話によると、彼は授業(yè)に行く途中攜帯電話を忘れたことに気づき、寮まで取りに帰ったといったこともあるそうである。なぜかといと、「財(cái)布がなくても友人に金を借りればいいが、攜帯電話がないと他人と連絡(luò)が取れないので不安」という答えをくれた。 この分では、攜帯電話を頻繁に使用している人はいつもバーチャルなコミュニケーションに閉じこもっているようになった。彼らは人とのコミュニケーションをすべて攜帯電話で済まそうとしている。他人と面と向き合うことを避けているにも関わらず、攜帯電話などさまざまな方法を使ってコミュニケーションをとろうしている。過度に攜帯電話を利用すると、面と向かって話をするコミュニケーション能力が身につきにくくなったり、若者の人付き合い下手を助長した?,F(xiàn)実社會でのコミュニケーションのとれない人間になってしまうという悪影響がある。 深く突き詰めて考えてみると、この原因は攜帯電話の長所に裏付けられたと思う。人間は少しでも楽をしたいと思う習(xí)性がある。一度、楽な生活をしたらなかなかその生活から抜け出すことはできない。こう方面から見ると、攜帯電話はタバコや酒と似通った點(diǎn)が多い。一度味わった味は忘れられないものである。 いずれにせよ、攜帯電話は良くも悪くも人々、特に若者のコミュニケーションに影響を與えた。そして、その影響は攜帯電話が進(jìn)化し、より多くの人にこれまで以上に深く溶け込むことによって深刻する。そうやってこれまで以上に、攜帯電話が中樞におかれるコミュニケーションが確立されていくのだろう。 四、日中両國比較 中國で、一昔前までは攜帯電話は存在さえも薄いもので知名度も全くないのだったが、中國で攜帯電話の登場は日本より遅いが、その発展と普及スピードは著しい。攜帯電話が登場したばかりの頃、新しい通信道具としての攜帯電話が身分や社會的地位のシンボルであったが、現(xiàn)在ではもはや日常生活の一部になっている。また、僅か十五年ぐらい経ち、中國は今世界一の攜帯電話利用者を有しているようになり、5人に1人は利用している。攜帯電話の利用者もまだまだ増加し、技術(shù)も日進(jìn)月歩の狀態(tài)である。 攜帯電話の利用が人々、特に若者のコミュニケーションに與える影響といえば、中國では近年こそ人々に注目され始めた。だが、中國での問題は決して日本ほど深刻しないといえないだろう。先に述べた攜帯電話の利用が若者のコミュニケーションに與える影響は中國でも同様に存在していて、そして深刻している。身近なことを例とする。私が在學(xué)している河南科技大學(xué)で、學(xué)生はほとんどだれでも攜帯電話を持っているように見える。そういうことから、みんなは普段用件があってもなくても攜帯電話でコミュニケーションをとることがもう習(xí)慣になった。皆だれでもその便利さに慣れているから、近く離れても寮に居ながら友たちと気軽に連絡(luò)をとっている。時間がたつにつれてこういう気軽なコミュニケーションが通常、當(dāng)たり前のことになった。寮に閉じこもって友人と會話を交わすことが少なくなって友人との仲間関係の絆が弱くなっている現(xiàn)実は存在している。この分では、人とのコミュニケーションをすべて攜帯電話で済まそうとしているようになる傾向もある。他人と面と向き合うことを避けているにも関わらず、攜帯電話などさまざまな方法を使ってコミュニケーションをとろうしている。つまり、バーチャルなコミュニケーションに閉じこもっているようになった。 次に、典型的な例として若者において攜帯電話を使用するマナー面が挙げられる。周りを考えずに大聲で攜帯電話でしゃべり、大きな呼び出し音を鳴らして平気でいたり、靜かに演劇や音楽、映畫などを楽しむ劇場でもおかまいなしに攜帯電話をピーピーと鳴らしている人も中國では少なくない。私が在學(xué)している河南科技大學(xué)を例えする。最近の學(xué)生は授業(yè)中、堂々と機(jī)の上に攜帯電話を置いている。攜帯電話をかける學(xué)生はいないが、メールが著信すると即席に返信することをよく見かけた。このように大學(xué)の授業(yè)內(nèi)やバスの中など、攜帯電話を使用するべきではない場所や時間において使用することはその場における人間関係によい影響を及ばすとは決していえない。 また、中國ではインターネットが広く普及しつつあるにつれて「インターネット中毒」という言葉が出てきた。今や、また新しい中毒が問題になった。それは攜帯電話中毒である。インターネットを探してみると、日本でもこういう言葉がある。癥狀としては「風(fēng)呂やトイレに持っていく」「著信音の幻聴が聞こえる」「メールをして返事が來ないともう友達(dá)ではないと思う」などが挙げられる。これは先の部分に述べたが。若者が人とのコミュニケーションを攜帯電話で済ますことに慣れているから。攜帯電話というコミュニケーション道具を少し時間離れても不安と感じている。中國では攜帯電話中毒はもうインターネット中毒と並び、若者において最も心配されている問題になった。 五、結(jié)語 人間が自分の意思を伝えたいと思ったのは今から1萬年前のことである。言葉、文字を使い始めて印刷、電話の発明により人間はコミュニケーションの可能性を増大させ、現(xiàn)在ではいつでも、どこでも、誰かと連絡(luò)をとりたい時だけ、連絡(luò)を取ることのできる攜帯電話が利用されている。大げさに言えば、攜帯電話が人間の生活の根本にも影響を與えている商品と言っても過言ではないだろう。攜帯電話の利用によってさまざまな影響を與えてくれたのに、それゆえに攜帯電話を使うなとはいえない。私自分は攜帯電話世代であるとして、攜帯電話の進(jìn)歩を受け入れていく肯定派の立場にたっている。攜帯電話で生じている問題は人間側(cè)の問題である。攜帯電話はあくまでも機(jī)械であり、使うのは人間であるからだ。攜帯電話自體が人間関係とコミュニケーションに悪影響を及ぼしたとは決していえない。むしろそれによってもたらされた便利さは現(xiàn)実では周りの人とコミュニケーションを気軽に取れる役割を果たしてくれた。しかし、人とのコミュニケーションにおいて攜帯電話を依存しすぎたなどの使い方によっては逆にコミュニケーションにマイナスに働く場合も出てくる。 良好な人間関係が大切であることはいうまでもない。人間関係がうまく取れなければ何か欠陥がある気がしているのは私だけではないだろう。私はどんなに便利な時代がやってきても、どんな形のコミュニケーションであっても、大切なのは人と面を向かい合うコミュニケーションであり、溫かな心の交流なのだと実感している。なぜなら、そういうものに支えられてこそ人は成長していくのだから。 この論文を通して友人、家族と過ごす時間を増やし、直接に觸れ合うコミュニケーションを大切にしてほしいと呼びかけたいのだ。 六、參考文獻(xiàn) 「社會學(xué)のことが面白いほどわかる本」 淺野智彥編著 中経出版 2002.5 「攜帯電話と人間関係」 石田洋平編著 日本福祉大學(xué)森本正昭ゼミ 2005. 「現(xiàn)在の攜帯電話」 豊永久美編著 日本福祉大學(xué)森本正昭ゼミ 2005. 「攜帯電話的人間とは何か」 淺羽通明編著 寶島社 2001.3 「日本文化概論」 韓立紅編著 南開大學(xué)出版社 2004 [日本之窗] 蘇君業(yè)、黃健編 大連理工大學(xué)出版社 2003 「ケータイのなかの欲望」 松葉 仁編著 文春新書 2002 「ケータイ學(xué)入門」 岡田朋之?松田美佐 有斐閣 2002 日本文化庁2005年12月現(xiàn)在まで行った「若者における攜帯電話の利用度調(diào)査」 日本財(cái)団法人日本青少年研究所の調(diào)査 
 注[1]:日本文化庁が2005年12月現(xiàn)在まで行った「若者における攜帯電話の利用度調(diào)査」より 注[2]:日本文化庁が2005年「攜帯電話の利用度調(diào)査」より 注[3]:日本財(cái)団法人日本青少年研究所の調(diào)査(http://www1.odn./youth-study/)より | 
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