香港鉄路博物館は九広鉄道の舊大埔墟駅の建物をそのまま保存した博物館で、1985年に開(kāi)館しました.
九広鉄道の歴史 九広鉄道は、1898(光緒24)年に九龍から広州まで鉄道敷設(shè)権を中英公司と當(dāng)時(shí)の清朝政府が取得したことに始まります.その後協(xié)議によって、中國(guó)側(cè)(九広鉄路華段)と香港側(cè)(九広鉄路英段)に分かれ、それぞれの政府により建設(shè)されることになりました.香港側(cè)(英段)はイギリス人技術(shù)者により1905年に測(cè)量を開(kāi)始し、1906年から著工、1910年に九龍~深圳間全長(zhǎng)35.4kmが開(kāi)通しました.當(dāng)時(shí)の途中駅は油麻地、沙田、大埔、大埔墟、粉嶺の5駅でした.中國(guó)側(cè)(華段)では1907年に大沙頭~深圳間建設(shè)を開(kāi)始し1911年に開(kāi)通しました. 香港側(cè)は當(dāng)初610mm軌間で建設(shè)されましたが、全線開(kāi)通後すぐに1435mm軌間に改軌されました.1911年には撤去した610mm軌間の資材を用いて粉嶺から沙頭角までの支線(11.67km)が建設(shè)されました.しかしこの路線は1927年に沙頭角までの道路が開(kāi)通したことにより、旅客運(yùn)送が減少し1928年に廃止されました. 1911(宣統(tǒng)3)年には九龍~広州間が全線開(kāi)通したので直通運(yùn)行開(kāi)始されました.しかし1949年の中華人民共和國(guó)成立により直通運(yùn)転は中斷し香港側(cè)は羅湖駅が終點(diǎn)となりました.以後30年間、羅湖駅で乗換えが必要でしたが1978年には直通運(yùn)転が再開(kāi)されました.香港側(cè)では1982年の九広鉄道條例により香港政府の経営から民営化され、1983年九広鉄路公司が成立しました.その後1983年には全線電化され、現(xiàn)在は電車(chē)が行き交い、その間を縫ってディーゼル機(jī)関車(chē)牽引の中國(guó)からの直通の長(zhǎng)距離列車(chē)が走る路線になっています. 展示品の畫(huà)像
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